「本当はつらい」と感じているのに、「こんなことで弱音を吐いてはいけない」と思って笑顔をつくる——
「もう限界だ」と心のどこかで気づいているのに、「大丈夫、まだやれる」と言い聞かせる——
これは「自己欺瞞」と呼ばれるものです。つまり、自分の本当の声を、あえて聞かないようにするこころの動きです。
フッサールの現象学では、「意識はつねに何かを志向している」とされています。
つまり、私たちの意識は常に何かを見つめ、意味を与え、関わろうとしています。
そのなかで、私たちは「選ぶ」と同時に、「選ばない」という選択もしているのです。
私たちは「見ない」「気づかない」という行為を、無意識のうちにしているように感じますが、実のところ、そこには「見ないようにする」「気づかないでいようとする」という微かな“意志”が働いています。
フッサールのまなざしから言えば、こうした「見ない選択」もまた、意識の働きのひとつです。
私たちは、自分の心の痛みや不安を見つめることでバランスを崩すのが怖くて、あえて「気づかないふり」を選んでしまう。
けれど、「選ばない」という選択は、何もしていないことではありません。
むしろ、それが自己欺瞞となり、自分自身を見失わせることがあります。
ケアの現場では、ともすれば「他者のために自分を後回しにする」ことが美徳とされがちです。
でも、だからこそ、私たちは自分のこころの声を「見ないことを選ぶ」ことに慣れてしまっているのかもしれません。
けれど、本当のケアとは、自分を犠牲にすることではなく、自分も他者も、どちらも大切にする営みです。
そのためにはまず、「自分に何が起こっているのか」を静かに見つめなおす時間が必要です。
「怖い」「つらい」「もう頑張れない」——そんな思いに気づき、そっと手を添えること。
それは、決して弱さではなく、勇気ある「選択」です。
「選ぶこと」はときに怖いものです。でも、「選ばないこと」にも責任があります。
だからこそ、自分を大事にするために、自分の心を見つめるという選択を、いまここでしてみませんか?